藤壺後宮物語2
あれから、長く患っていた今上帝が、ついに東宮に、御譲位をあそばされ、
光徳院と名乗り、ついに新しい帝が誕生なさったの。
新帝の御世になったので、人事も大きく変わって、父さまは、大納言から内大臣に、
幼馴染の高彬は、衛門佐から近衛少将に出世して、右衛少将と呼ばれる身となった。
そして、ついにあたしも、新帝の女御に相応しいように、
父さま、義母さまのおかげで、煌びやかに、
そして豪勢な支度を用意してくださったので、
周りからは、内大臣家の繁栄を羨まれながら、入内することになってしまった。
のちに飛香舎に部屋を賜り、藤壺の女御と言われるようになる。
もちろん、断固拒否したいのは山々だったけど、なんと義母さまが、
毎日のように人妻のレクチャ―をしに、あたしの局にやってくる。
その上、一番の協力者である小萩まで、父さまの命令に忠実なため、
動けなくなってしまったの。まあ、宣旨が下りてしまっている以上、
あたしが失踪すれば、父さまはもちろん、ぼんくらな融にまで、被害が被り、
代々摂関家の流れをくむといっても、お家断絶になるでしょう。
あたしの我儘で、そうなってしまっては、
さすがのあたしでも、気が咎めるというもの。
仕方がないから、入内するまでは、大人しくしてたつもりよ。
あたしの女御入内に、周囲の評判は最悪だった。
殿方に脇息を投げつけた、野蛮な猿のような女だと、内裏では噂されていたようよ。
融に話を聞いてみたら、ありもしないような、
男のような姫君だと言われているみたい。
そんな姫が、女御になるなんて相応しくない。そんな声も沢山上がったわ。
それでもやっぱり内大臣の総領姫という身分と、お主上のひと声で、
誰も反対の声を上げることができなくなり、あたしはその話を聞いて、
かえって手を出されないから好都合だと、そう思っていたの。
大体この話はおかしいのよ。いきなりあたしをお主上の、女御に迎えるだなんて、
派閥争いもあるというのに。
お主上には右大臣が後ろについておられる。
それなのに、有力貴族の姫君を女御にするなんて、
後継者争いの種になるだけじゃない。
院は何を考えておられるのかしら。
多分だけど、内の父さまのせいでしょうね。
父さまは、貴族にありがちな権力欲が殆どないもの。
貴族社会は血筋がものをいう。
だから出世はしているけれど、他の貴族を蹴落としてまで、
権力を持とうとは一切思わない、優しい性格だもの。
あたしに無理に子供を作れとは言わないでしょうし、
入道のような野心を持ってないから、院に目をつけられたのでしょう。
あたしの評判が悪いからこそ、右大臣家もそこまで強くは言えないでしょうしね。
できたらお主上に飛香舎には、来てほしくないな。
父さまには、入内してからも毎日のように、説教をされている。
あたしにくれぐれも問題を起さないようにと、耳にたこができるほど、
くどくど言ってくるし、その上宮廷は優雅に見えて、
女房達からいつも目を光らせられてるから、気も抜けない。
本当に、うっとおしいたらありゃしないわ。
はあ、一生独身でいるつもりが、何の因果で、帝に仕える大勢の女御の一人として、
夫を迎えなくちゃいけないの?
どうして独身じゃいけないの?
一人が駄目なら、自分だけを、唯一愛してくれる人と、結ばれたい。
それもダメなの?
この貴族社会では許されない恋愛結婚。
身分が釣り合わなくては見向きもされない。
だから顔は一番最後。
どれだけ姿を見ないで、自分の素晴らしさを伝えるかが、
この時代のいい女性の見本となる。
当然美人であるなら文句はないけれど、美人じゃなくても身分さえあれば、
あたしのように、帝の近くの壺に部屋を賜り、女御として、大切に守られる。
だから妬みも含む視線を、針の筵の様に向けられながら、過ごすしかできなかった。、元気だけが取り柄のあたしでさえ、体と心は大きく疲れていたの。
あー、いやでいやで仕方がないわよ、
でもね、ふふふ、
あたしは入内して一ヶ月が経つけど、実はまだ乙女なのよ。ふふん、凄いでしょ。
好きでもない男に、あたしの体を触らせるなんて、とんでもないわ。ありとあらゆる方法で、お主上に触れさせてないのよ。といっても、すぐ隣には、誰かが寝ずの番をして、こちらを伺っているからばれている可能性も、ないとは言えない。けれど、なにも忠告を受けていないから、今のところは大丈夫だと思うわ。
初めて、お主上と対面することが出来たときは、御帳台の中にすっぽり納まっていらっしゃるから、顔もまともにご拝見したこともないし、あたし自体が、帝のご尊顔を拝見しようとは思わなかったんだけどね。
帝は滅多に声を発しないから、声さえあたしには分からない。
だから、初夜の時は緊張はしたけど、絶対体を許すもんかと思って、水を浸したわたを手に入れて、初夜を拒み、そして次の日は、目が赤いのを見せたくないという理由で、またまた拒み、他にもさまざまな理由で拒み続けるかいがあって、なんとか純潔は守っているのよ。さすがにお主上があたしに何もしないで、すんなり自分の部屋に戻ることは、世間的にまずいので、同じ褥に入るくらい。
普通は考えられないけれど、お主上は優しく声を掛けてくださって、あたしのいうことを信じてくれてる・・
お主上の声は、優しくて、大人しそうな声。そんな声で、悪の巣窟だと思う政治のトップが、務まるのか?そう思えるほどやさしいだけの、ぱっとしない声だった。あたしの旦那様とはいえ、政略結婚であるあたしには、帝がどんな方でもほとんど興味が持てないでいた。だって夫とはいえ、恐れ多くも帝ですもの。あたしのような、猿の女に、帝が興味を覚えるわけがないのよ。内心は困って仕方がないはずだわ。父上である光徳院のご命令で、仕方なく結婚した間柄ですもの。
でもね、さすがに一ヶ月経つのに何もないのはまずいらしく昨夜はついにお主上から、安易に受けるように、と言われてしまった。さすがに嫌がっていることはばれていたみたい。今回ばかりは逃げることもできないわ。
あーどうしよう、いい案が思いつかないわ、父さまか融が、病にでも倒れたら、延びるかもしれないけれど、なかなかいい案が思いつかない。
いい案が思いつかなかったらあたしの貞操があぶない!
あーこんなことなら、お主上のご尊顔をしっかり見ておけばよかった。不細工だったらどうしよう、どうでもいいから、きちんと見たことがないのよね。。
ふー
まあ、こんなことくらいで悩んでても、仕方がないわ。小萩に文句言われるだろうけど、後宮で、あたしがじっとできるわけないじゃない。少しくらい、庭にでもでて散策しようかしら。凄い綺麗なお庭なの。さすがは後宮だわ。無理やり小萩の桂を借りて、あたしは庭散策に出かけた。まさか女御が、うろうろ後宮を歩くなんて、ありえないから、あたしに気を咎める人達はいなかった。
時々、見たことがないあたしに、声をかける人がいるけれど、
藤壺の女御様付きの新しい女房だと告げると、あ~と言われて、すぐに開放をされる。一体あたしはどう思われているのかしら。相当悪評を立てられているんでしょうね。
あちこち歩くうちに、あたしは案の定、後宮で迷ってしまったの。藤壺が、どこなのか聞こうにも、人がいないとこばかり進み、ドンドン気配が少なくなってしまったの。
ここはどこなのよーー
疲れたあたしは、庭の大きな池を眺めていた。
にゃ~~~
あれっ、猫の声がする。
泣き声の方を見ると、白い可愛らしい猫が歩いていた。近寄って見ると、床下に入ってしまったので、ついあたしは追いかけて床下に潜った。
ははは、こんなとこを、女御が潜っていたら、前代未聞だわよね。
父さまが知ったら、ひっくり返ってしまうわ。女御じゃなくてもここで見つかったら、不審人物として捕まってしまう。見つかったらただでは済まない。最悪謀反の罪で冤罪も免れないかも。それなのに、なぜあたしは、猫を捕まえるためだけに、こんな危険を冒そうとしてるのかしら。
なぜかあたしの心は、猫というよりも、何か運命が変わる予感がしたのかも知れない。
床下は薄暗い上、猫の方が動きが機敏なこともあり、見失ってしまったの。
もうーどこにいったのかしら・・・
闇雲に床下を這いずっていたら、変な気配に気付いた
何???
誰かいる!
見つかってはやばい!ここはじっとしていよう。
「にゃあ!」
「いッ!」
居なくなったかな?
変な気配がした時、すぐに息を止めたから、多分気が付かれてないはず。薄暗かったし、猫ちゃんのおかげで気を取られていたから、こちらには来ていないし。
あたしはその変な気配がいた場所に、たどり着いた。
あれっ・・・これなんなの?
先ほどの、不審な人影を見かけた場所に、あたしはたどり着いた。
そこには不審な紙と、物が落ちていた。
これなんなの?触った感触があれっ?呪いの ワラ人形、ということは、この紙は呪詛。
そんな・・・これどうしたらいいの?
誰を呪うというの?まさか帝?この前の入道事件・・・
しまった!誰かいる、さっきの人影・・・
足がすくんで動けない・・・
影が、いきなり動いてあたしの口をふさぐ。
こんなところで死にたくない!あたしは思いっきり口に力を入れる。それでも手が離れない。
朦朧と思いながら、あたしはそのまま気を失ってしまった。