藤壺女御物語26
「あらっそう、ふふふ」
「瑠璃様は羨ましいですわ。お主上から御文が届くなんて。毎日のように
こちらにお渡りになるのに夜だけではなく日中でさえ独り占めなさるなんて。」
「ちょっとやだ小萩。からかわないでよ。恥ずかしいじゃない」
「ふふ瑠璃様。よいではありませんか。前まではそんな余裕もなかったのですから
やはり瑠璃様には笑顔が一番でございますわ。」
「そうでございますわ。藤壺の女御様は元気が一番ですわ。」
「もう早苗までそんなことを言って!」
あたしの一番の女房はもちろん小萩だけどこの早苗もあたしは信用しているの。
若くはあるけれどあたしを信用してくれる女房の一人。
それに小萩も初めは早苗の若さを鼻にかけている性格が嫌で仲が悪かったようだけど
結局あたしに忠義心を抱いているのは他の女房の中で早苗が一番だったみたい。
だから小萩と早苗は今では一番仲が良いみたいなの。
あたしも腹心の女房が増えるのは大歓迎だから嬉しいんだよね。
さあ、鷹男からの御文でもみようかな~
ふふっ、鷹男の香の匂いだわ。これだけで鷹男に包まれた感覚がわくな~
ああ~うっとり。
「瑠璃様、瑠璃様!」
「あら、なあに?」
「なあにではございませんわ。瑠璃様いくらお主上からの御文とはいえ
そのような呆けたお顔をもし他の女御さまの女房達に見られたらどうされるのですか?
さすがにそのお顔では脳の病にでもかかられたのではないかと
思われてしまいますわよ。」
「ちょっと小萩、脳の病とは何よ!そんなわけないじゃないの。」
「小萩さん言い過ぎですわ。藤壺の女御様はお主上の御文を貰っただけで
顔が緩むくらいの心情に触れていらっしゃるのですわ。
それにしてもさすがは恐れ多くも帝でございますわ。
御文の料紙も素晴らしい素材ですわねえ~」
「もう二人してからからかわないでよ。」
「ふふふ」
「おほほ」
二人にからかわれながら、あたしは鷹男の御文を読んだの。
相変わらずの熱烈な恋の歌。
素敵な文にあたしも返事を書きだす。
書いては捨て書いては捨て、中々うまく書けない。
やっとかけた文を女房に渡した。
その時、御簾が上がり突風が藤壺の中をかき乱す。
それと同時に沢山の文たちがどこかに舞い散ってしまった。
ある程度は回収できたけど、何枚かはどこかに風で飛ばされてしまった。
でも仕方がないから気にしないようにしていたわ。
最近なにかがおかしい。
それは梅壺の女御様側は相変わらずとはいえ他の女御様の女房達の視線が
悪意に満ちているように感じられるの。
そして小夜のおかげで丞香殿の女房達とも平穏になっていたのに
また嫌味が増え始めていた。
いえ、増えたというよりもっと辛らつになってきたの。
でもあたしは何故このようになったのか分からなかった。
小萩や早苗が原因を探ってくれているけどその噂が何なのかあたしたちには
分からなかったの。
「る、る、瑠璃様~~~」
「ちょっと小萩落ち着いてよ。」
「そんな、落ち着いてなど無理ですわ。」
「小萩、落ち着かないと何があったかわからないじゃないの。」
「あっ、申し訳ございません。しかし噂が何なのか分かったんでございます。」
「へえ~そうなのね。それで何だったの。」
「瑠璃様が、いえ、藤壺の女御様が今上帝ではない殿方とあやしの恋をしていると
いう噂がすでに後宮内で広がってしまっているのですわ。」
「はっ???なにを?」
あたしは冗談だと思ったのに小萩の表情を見て本当なのだと思った。
「ちょっと、冗談じゃないわよ~
どうしてそんな根もない噂がたつというの?どうみても誰かが
あたしを貶めようとしているだけじゃない。
それにあたしにはたか、じゃなかった今上帝お一人しか
愛した覚えも体を許した覚えもないわ。
それなのに証拠もなくなんでそんな噂が広まっているの?」
「瑠璃様、それがもう証拠はいろんなお方が見られたようなのです。」
「は???何を言ってるの?」
「ですから証拠の恋文はいろんなお方が見られたようなのです。」
「ちょっと待ってよ、恋文って誰のなの?」
「ですから瑠璃様が書かれた文でございますわ。」
「もういい加減にしてよ、小萩!あたしは今上帝以外恋文なんて書いたことないわよ。
まさか高彬への文?いいえ、高彬に書いたことがあるのは入内する前だけ。
それを勘違いしているんじゃないの?」
「いいえ、違いますわ。高彬様ではございません。」
「じゃあ、誰だというの。」
「瑠璃様、鷹男というお名前に聞き覚えはありませんか?」
「は?鷹男?なんで鷹男のことを小萩が知っているの?」
「では本当のお話だったのですね。うううっ、瑠璃様どうして他の殿方に
恋文を書かれるようなことをなさったのですか?
これでは内大臣家に傷がつきます。」
「やだ、小萩おおげさね~」
「大げさではありませんわ。鷹男という殿方と瑠璃様が秘密裏に
恋文を交わしていたなんて、瑠璃様付きの私は内大臣様にも面目がありませんわ」
「ちょっと待ってよ、小萩!話を聞いて!」
「いえ、もうごまかされませんわ。いつからその鷹男という殿方と
お会いすることになったのですか?」
「いや、入内してからだけどね。」
「まあ~では殿上人の誰かなのでございますか?」
「えっ、まあ~そうだけど。」
「一体どんな身分なのでございますか?
いえ、どんな身分でもこのような醜聞
今上帝に知られたらどんな処分が下されるのか分かりませんわ。」
「あのねっ、小萩!」
「あのねではございません。瑠璃様は何をしたのか分かっているのでございますか?
まだこれは後宮内だけで留まってますがすでに幾人かの貴族たちの間では
知られている噂なんでございます。
いつ今上帝の耳に入るかわかりません。ですから何か対策を考えなくては」
それからすぐに父さまが藤壺にいらっしゃったの。
もうすごい剣幕で怒り狂てたわ。
「る、る、る、瑠璃~~~~~お前はなんてことをしおったのだ!
お前は女御様であるのだぞ!それなのに他の殿方と恋文を贈ろうだなどと
何を考えておるのじゃ!」
「ちょっと落ち着いてよ。父さま。」
「落ち着いてなどおるわけないではないか!代々続くわが家が滅びるしかない。
まずは瑠璃、その男が誰なのか言ってみなさい。」
「ねえ~いったい誰のことを言ってるの?鷹男のこと?」
「瑠璃や、お前は何を聞いておったのじゃ。」
「だからあたしは、今上帝以外の殿方に恋文なんて贈ったことないわよ。」
「しかし瑠璃様、鷹男という殿方を知って見えたではありませんか?」
「鷹男のことは知っているけど。」
「瑠璃様~~~」
「瑠璃や~~~」
「やっぱりこの噂は本当のことであったか」
父さまは呆然としてしまったの。
もちろんあたしも今になって呆然としてしまった。
でもすぐに正気を保ったわ。
「父様この噂の出どころはどこなの?」
「出所どころではありません。お前がした失態にわが内大臣家はおしまいじゃ」
「ちょっと待ってよ、父さま大丈夫よ!」
「何が大丈夫なのだ。お前が鷹男とか言う男のことを知っているではないか」
「ふふ、まあ、知っているだけじゃなくてあたしが愛しているのは鷹男だけだから」
「瑠璃様!」
また二人が蒼白い顔になっていくのが見えた。
さすがに惚気てばかりではいられないわね。
だからあたしは鷹男の正体を教えてあげたの。
「だって鷹男はあたしが二人きりの時に使う帝の呼び名なんですもの。
ふふっ、やあね~照れるじゃないの。」
あまりの出来事に二人はしばらく声も出さなかった。
衝撃を受けた二人には可哀そうなことをしてしまったわね。
でもなぜあたしが鷹男に恋文を書いたことがばれたのかしら?
あたしが鷹男の帝をそう呼んでいたことはあたしと鷹男しか知らないはず。
あとは秋篠権の中将様は帝に忠実だからあたしと鷹男のことは
決して話さないだろうし。
あたしが鷹男あてに書いた文が誤ってみられたなら仕方がない。
でもあたしは浮気をしたわけじゃないんだから何も悪くないわよ。
「父さまいつまで呆けてるの?」
「何を言っておるのだ、わしは呆けておらん。」
「まあそういうことでもいいわ。でも父さまいったいどうして
あたしが鷹男当てに書いた恋文を知ってるの?」
「それは警備にあたっている近衛の舎人がここ藤壺の近くで
不審な文を二通見つけたからだ。
高価な御料紙でな、高貴な身分の方しか書けない文
誰のものかわからないからつい中身を読んだのだ。
そうしたら藤壺の女御が書いた文だというのだ。
その相手は見知らぬ名前が書かれたうえ、
お歌は不義の相手に贈るようなものだった。」
「ちょっと待ってよ。
あたしがどうして鷹男の帝あてに不義の歌を贈らないとならないの?」
「しかし、瑠璃様、鷹男という名前は誰も知りません。
ましてやこのお歌を見覚えはありませんの?」
思わじと 言いてしものを はねず色の うつろひやすき わが心かも
第四巻657
現代訳=もうあなたのことを考えるのはやめようと思ったのに
またあなたを想っている。
「えっ!それは書き間違いで書いた万葉集の歌よ。
お主上と鷹男の性格は正反対なの。けれど両方とも同じ人物だわ。
でも鷹男のことを想うことが多いな~って思ってつい書きとめちゃったのよ。
でもこれじゃなくてきちんとしたお歌を帝に届けたわよ。
でもなんでその文が・・・?
あっ、そうだあの時の文よ。小萩も覚えているでしょう。
お主上から文が届いたとき、後で突風が入ってきて帝の文をなくした時のことを。
仕方がないから鷹男に報告したけれど。」
「そういえばありましたわね。」
「あの時の書き損じが沢山あったからなくなったことに気が付かなかったのね。」
「はいそうだったんでしょうね。」
「そうだったと何を納得しておるのだ。
いくら帝への文だとしても実際は本当のことを皆知らないのじゃ。
どうみても瑠璃が不義の相手と通じていると思われてしまっているではないか。
それだけではない。瑠璃が今上帝を裏切った女御として
厳しい処分をしないといけないという声も少なくないのじゃ。
これが嘘でも本当でもここまで噂が経ってしまった以上ただでは済まない。」
「なんでそこまで大ごとになるの?あたしは鷹男を裏切ってないし
それなのに処分だなんて」
「瑠璃、内裏というのはこういうものなんじゃぞ。人の弱みに付け込み
自分が有利に立とうとする、これが貴族社会なのじゃ。」
「そう、でもあたしは悪くない。だからこそ何とかしないといけないわ。
あたしの文だけじゃなく、もう一枚文があったでしょう。
それが誰の文だったかわからないはずがないわよね。帝のご宸筆なんだから」
「今上のご宸筆なんて身分の高いものしか知らないはずではないか。」
「それはそうだけどじゃあ、その文は近衛の舎人の直属の高彬が
その文を預かったっていうわけ?
だったら高彬はあたしかすぐに鷹男の帝に報告するはずよ。」
「確かにそうなのだが丁度その文を見つけて読んでいた時
偶々梅壺の女御様がそこを通ったらしく瑠璃の筆跡だと教えたのじゃ。
それにお前の文はその後も梅壺の女御様が拾われたようで
それを他のものに見せてしまったのじゃ。」
「はあ?それじゃあその文は梅壺の女御様が
あたしを罠に嵌めようとしただけじゃない。鷹男の筆跡を見たら帝からの文だと
すぐにわかるはずだから。それなのにあたしの文だけを
他のものに広めるだなんて卑怯よ。それなのにどうして皆騙されるわけ?」
「しかしな~瑠璃、お前の文は色々なものに見られているのじゃ。
恐れ多くもお主上の御文は皆に見せることなぞできぬ。
梅壺の女御様がその文を見つけた第一発見者でもないのだ。
瑠璃の文という大きな証拠があれば帝の文があっても言い逃れはできぬのじゃぞ。」
「冗談じゃない、悪くもないあたしが処分されるなんてこんなに噂が流れているのに
鷹男が知らないわけがないわ。それで鷹男はなんて言ってるの?」
「それは藤壺の女御が私以外の殿方に目がいくわけがないとおっしゃられ
静観の構えを取って見える。」
「ここまで大ごとになっているのなら鷹男に相談するわ。」
「おおそれがよい。お前が動くとろくなことにならん。
決して自分で動くことがないようにな。」
父様はあたしを信用してないんだから。
そう、やっぱり梅壺の女御様が絡んでいるのね。
もういい加減にしてほしいわ。
あの女、何が目当てなの?
あたしの相手が帝だって知ってるはずじゃないの。
知っていて噂を広げるなんてどういうことかしら?
まあいいわ、鷹男に相談してみよう。